セルビッチデニムの“耳見せ”はなぜ惹かれる?
デニム好きなら、一度は感じたことがあるはず。
セルビッチジーンズを穿いたとき、
つい裾を折り返して“耳”をちらっと見せたくなる、あの感覚。

それは単なる着こなしの小技ではなく、
ものづくりへの敬意や、
「これが自分の選んだ一本なんだ」という静かな誇りの表れなのかもしれない。
でもふと考えると、
ブランドバッグをチラッと見せる仕草と似ていませんか?
どちらも“良いものを持っている”という無言のメッセージ。
では、セルビッチジーンズの耳見せと、
ブランドバッグのチラ見せは何が違うのか。
その奥にある“こだわりの意味”を、少し掘り下げてみたいと思います。
完成された物語と、育てていく物語
ブランドバッグは、
ブランドが築き上げた世界観と美学を
完成された作品として纏う喜びがある。
職人の技術や歴史が、
そのロゴやデザインの中に凝縮されていて、
だからこそ「誰が見ても価値が分かる」、
共有される誇りがある。
一方で、セルビッチジーンズは少し違う。
それは、まだ“完成していない”服。
穿く人が時間をかけて育てていくことで、
初めて自分の一部になっていくモノ。
色落ちも、アタリも、シワも、全部が履き主の履歴。
他人に見せるためではなく、
自分が納得できるための誇りがそこにある。
「高価だから嬉しい」は、見栄じゃない
筆者は正直なところ、セルビッチが高価だから嬉しい、
という感情もある。
でもそれは、見栄やブランド志向とは少し違う。
価格の高さは、
「手間や時間、技術がちゃんとかかっている証」であり、そこから紡いでゆく
エイジング、ともに過ごす時間。
自分が理解して選んだものへの納得感が、
その“嬉しさ”を生んでいる。
安価なセルビッチジーンズでは、
きっと同じ気持ちは生まれにくい。
だから「高価であること」もまた、
この文化のリアリティの一部なのかもしれない。

ふたつの誇り
ブランドバッグは、
完成された美を共有する誇り。
セルビッチデニムは、
自分の手で育てる美を纏う誇り。
どちらが優れているという話ではなく、
その日の自分がどんな誇りを着たいか。
そこに選ぶ意味があると思う。
最後に
今日も、デニムの裾をひと折り。
この耳を見ながら、見せながら、
「今日もちゃんと、自分の好きなものを選んでいる」
そう思える自分で居たいと思います。

Written by BOBSON WOMEN 企画担当A